貧乏生活
随分昔のことだが、ある日、その当時の「昔の友人」に、自分が大型電気店の中をブラブラしていた時、ばったりと出会ったことがある。彼と会うのは2年ぶりくらいだった。
確か仕事を辞めて東京に行きたいと言っていたので、東京で就職しているはずだった。
「久しぶり~。東京に行ったって聞いてたけど、今、帰省中か何か?」と聞くと
「東京での仕事は辞めました。またこっちで仕事を探してる最中です。」と言う。
「はぁ・・。」
「東京で派遣会社にいたんですがね、とんでもない会社でしたよ。僕の勤務先から派遣会社には毎月、僕の給料として38万振込があるんですが、派遣会社が28万持って行くんですよ。
ですから僕の給料は10万円。超極貧生活でした。」
「何か大変でしたね・・。」
「そうです、食事なんて2日に一回の割合で、一回の予算が200円で食ってました。腹減って死にそうでした。」
「それは・・減量するにはいい環境かも知れないですね。」
「何で僕が減量せにゃいかんのですか。それに布団を買う金もないから、冬も毛布一枚で過ごしたんですよ。衰弱して体具合が悪くなったので、親に電話して、引っ越し代と交通費を出してもらって、辞めて帰って来ました。もう東京はコリゴリです。」
と言っていた。
普通の人なら、借金してでも生活水準を保とうとするだろうが、彼の場合、給料の範囲内で生活してたところが見上げた考え。
生活内容はともかくとして、彼が言っていた、その派遣会社の雇用形態。
ホントにそんな会社があるのか?いいのか、こんなことして。何か違法のような気がするが・・。
貧乏といえば、30年位前、自分が学生で一人暮らしを始めたころもかなり貧乏だった。一人暮らしを始めてから一年以上、バイトもしなかったので親からの仕送りの8万円だけが頼りだった。
あの当時は、スーパーで食パンの耳を一袋20円で売っていたので、よくそれを買って食っていた。(食パンの耳を知らない人がいるかもしれないが、あれは、サンドイッチを作った時に切り落とす、食パンのフチの部分。今ではそれだけ売っているのは見かけなくなったような)
仕送り前になると数日間それが主食になった。ジャムを買う金も惜しかったので、砂糖を買ってきて、それに水を少量いれて砂糖をこねて、それをジャムの代わりにして、食パンの耳につけて食っていた。
また、ジュースを買う金も惜しかったので、水に砂糖を溶かしてジュースの代わりに砂糖水をよく飲んでいた。砂糖1kg買っていれば、味付けにもジュースにもかなり使えた。
ちなみにあの当時、ガスと電気の停止は2回ほどくらった。ガスは非情にもすぐ止める。電気が次で、水道は命に関わるから、なかなか止めない。水道局は優しい。
8か月払わなくても水道を止められなかった人もいる。(←これが水道局の基準ではありません、そう言ってた人がいたというだけで、鵜呑みにしないで下さい)
自分は今でも金があるとは決して言えないが、一応食パンの耳と砂糖水は卒業した。